日記
2012.03.11
「東北地方太平洋沖地震」、「東日本巨大地震」、「東北・関東大地震」。
当時は呼び名が入り乱れ、後に「東日本大震災」と定まった災害からちょうど1年。
その日に残しておいたメモと記憶を元に振り返り、記録する。



◆2011年3月11日(金)
14時46分。
オフィスの自席でパソコンに向かっているときに揺れが起こった。震度2程度か。
執務フロアに設置した地震予想装置は黙ったまま。いつもどおり、後になってから地震発生を知らせるのだろう。
そんなことを思いながら、mixiで地震発生をつぶやこうとキーを叩いていた最中、地震が本性を表したのごとく激しい揺れに襲われた。
入力中の文に「あれ・・・激しい!!」と追記し送信した。

周りを見ると、社員はみな地震を怖がっている様子で、伏せたり机の下に隠れたりしていた。
私は指示を仰ぐため社長室に行ったが社長は不在だった。
揺れが激しいため歩きづらく、遊園地のアトラクションを思い起こした。
怯えている社員を横目に、退路を確保するために認証機能がついている出入口を開放したまま電源を切断した。
次に非常階段の扉を開放しようと向かったところ、同僚がすでに扉を開け、閉じないよう押さえていた。
唯一頼りにできそうな社員だ。
そのまま待機するよう依頼し、その場は任せて執務フロアに戻り、非常階段から1階に避難するよう社員に指示した。
全員が退室したことを確認し、事前に印刷しておいた社員連絡網を取り出して1階に向かった。

非常階段は同じビルの他社の社員も避難しており混みあっていたものの、皆整然と降りていた。
1階に着くと社員がバラバラに居たので、まず片側に寄せた。
社長も居たため対応について相談したが、困惑しているのか反応が鈍く、頼りない、というより頼ってはいけない、私がやらなければならないという使命感が湧いた。

このような状況で恐ろしいことは、秩序が乱れて統制がとれなくなることである。
そうはさせまいと、この場の支配権の所在を知らしめることを意識しながら行動した。
声を張り上げ、社員に対してこのビルは新しく耐震構造になっているため安全であること、無闇に外にでるほうが危険であること、特にオフィス街における地震は割れた窓ガラスの落下による事故が多いことを伝えた上、安全が確認されるまでこの場に待機するよう指示をした。
社員連絡網を元に、この場に居る社員、不在社員(外出中・休暇中)を区別し、不在社員と会長の安否を手分けして確認し、進展があり次第私に報告するよう指示をした。
しかし、携帯電話で連絡をとろうとしても今まで見たことのないメッセージが表示され、何十回に1回しか繋がらない状態だった。
一方、メールであれば送受信できるようであった。

しばらくすると会長が到着し、全員でオフィスに戻り待機することにした。
少しずつ不在社員の報告が集まってきた。電車の中に閉じ込められていた人、客先にいた人、自宅で寝ていた人。
時間を要したが全社員の無事が確認できた。
交通機関が停止しているため、外出中の社員数名は徒歩でオフィスに戻るとのことだった。数時間は要する見込みである。
執務フロアではテレビがつけられており、各地の状況が伝えられていた。
そこに映る光景は、この国のものとは思えない惨状だった。
報道機関により災害の呼び名が異なっていることに社会の乱れを感じた。

18時近くになり、地震は収まったと判断した。
交通網は完全に麻痺していた。
車道は大渋滞となっており、鉄道は路線により運行している路線、見合わせている路線があり、運行している路線もいつ止まるか分からず、見合わせている路線も再開は未定となっており、いずれも今後の予測が難しかった。
また、鉄道各社のWEBサイトはアクセスが集中しているせいか、アクセス不能または遅い状態になっていた。
各社員に確認し、帰宅する者、翌日まで残る者に分類した。
社員の状況を把握するため、社員の一覧表を作成して帰宅する際には自分の名前の帰宅欄に記入した上、十分に注意して帰宅するよう指示をした。
電車で帰宅する者もいれば、何時間もかけて徒歩で帰宅する者もいた。
会長の機転で、翌日まで残る社員のために予め食料・飲料・アルコール類を購入するため数名の社員に近くのコンビニエンスストアに向かわせた。
(数時間後には完全に売り切れたが、この時点では購入できた)
エレベータは停止しているため、非常階段での往復である。
また、オフィスには喫煙室を設けてないため、喫煙者も非常階段で1階まで降りて喫煙していた。

私自身については、普段使用している丸の内線は停止していたが、別経路の大江戸線は運行していた。
終電近くになり、翌日までオフィスで待機するか悩んだが、信頼できる同僚に後を託して帰路に着いた。
大江戸線のホームは大混雑しており、電車の往来も少なかった。
何十分か待ってようやく来た電車も満員で乗れず、次の電車に何とか乗れた。
車内は朝の通勤ラッシュのピーク以上の大混雑だった。
座席にはカップルと思われる若い男女が座っており、男性の顔が真っ白で明らかに体調が悪そうな素振りだった。
すると、その隣に座っていた別の女性がペットボトルの飲み物を手渡し、カップルの女性が感謝していた。
電車が揺れるたびに苦しく、皆ぎりぎり耐えている状態だった。
私は車内の中央部(座席や吊革の列)の間に立っていた。
目の前の吊革側に立っている女性2人が崩れまいと必死に耐えており、私も負担にならないよう精一杯耐えた。

電車に揺られながら本日の出来事を振り返り、さまざまなことを考えた。
・これらを目の当たりにし、このような状況においても助け合いの精神がある日本はまだまだ捨てたものではない
・このような状態でもパニックにならない国民性
・おそらく地震の規模からすると被害が少なく、国外から驚かれるだろう
・復旧も迅速に進むだろう
・もし夜間に起こっていたらと思うと恐ろしい
・地震保険の会社はどうなるのだろうか
・金融市場への影響はどれほどだろうか。金融取引で稼ぐ人は、このような災害も上手に利用するのだろう
・人類の技術が発達し、自然に対抗したり制御しようとしてきたが、自然が本気を出せばひとたまりもないのだ
・・・

地元の駅に到着すると、驚いたことに普段と変わらない光景がそこにあった。
建物が崩れたり道路が割れたりしているかと思ったが、いつもと変らない街並み、いつもと変らない街灯、いつもと変らない道だった。
他の人たちも、いつもと変らない様子で歩いている。
先ほどまで混沌とした空気に包まれていたため、普段どおりであることが不自然に感じた。
自宅に着いても普段と変わらず、家具類もいつもどおりであった。
強いて被害を挙げれば、テレビの位置が10cmほどずれていたくらいである。

この日のことを記録しておきたいと思い、一日の出来事をパソコン上のメモに残した。
せっかくなので今のうちに整理して公開したいと思ったが、すでに明け方近くであり、疲れていたこともあって眠りについた。

◆2011年3月12日(土)
キャンプ用品を買いに行く予定であり、予定どおり買いに行った。
しかし、なぜか必要なキャンプ用品の多くが品切れとなっており、目的のものが買えなかった。
(後に、キャンプ用品と防災用品は類似しているためであることに気づいた)

◆2011年3月13日(日)
地震の状況について情報収集したところ、ある情報源では数日以内に70%、1週間以内に90%の確率で大きな地震が発生するとのことだった。
この類の情報は鵜呑みにはできないが、今までよりは安全側に重きを置いた判断が望ましいだろう。
電話で役員と相談し、女性社員は全員自宅待機させることにした。
そのことを伝えるため、女性社員ひとりひとりに電話で連絡をした。なかなか繋がらない社員もいて、数時間を要してしまった。

◆2011年3月14日(月)
地元の役所の放送で目が覚めた。
震災に関する注意喚起のようだった。

電車が動いているか心配だったが、運行時間は乱れているものの動いているようだった。
普段より時間を要するはずなので1時間ほど早めに出発した。
電車は混雑しており、狭いスペースに無理やり入るしかない状況だった。
1本目は乗車しようとしたが入れなかったため諦めた。2本目でなんとか身をねじ込ませて乗車した。
このような状況下で出勤しようとする人々を見て、日本人の生真面目さを改めて感じた。
外国人には、これは帰宅風景に見え、まさか出勤のために必死にがんばっているとは思わないのではないだろうか。

出勤時間は普段より30分多く要した。
予想どおり、多くの社員が遅れていた。
中には路線が都合上、出社できない者もいた。
女性社員が居ない上に遅れている者も多いため、休日出勤のような雰囲気だった。

各社員の状況を把握しているのが私一人ではリスクがあるため、一覧化してファイルパスを全社員に通知した。
また、震災の日に電話が繋がりづらかったが携帯メールであれば送受信できたことと、電話連絡では労力が大きかったことを踏まえ、全社員の携帯メールアドレスを収集し、テスト送信を行った。
数名分がエラーリターンとなったため、それぞれ正しいアドレスを入手して再びテスト送信したところ、エラーは解消された。

その後も通常業務は執り行わず、震災の情報収集や顧客の状況把握などに注力した。
女性社員の自宅待機期間について役員と電話で相談し、さらに数日間継続することにした。
以降も状況を見極めながら検討していくことにした。

帰宅時、路線が途中駅までの往復となっていたため、途中駅からはタクシーで帰宅した。
22:50、再び役所の放送があった。

◆2011年3月15日(火)
路線が途中駅までの往復となっていたため、自転車で向かった。
人生初の自転車通勤となった。
当面の間は自転車通勤が続くことを覚悟していたが、幸いなことに本日中に復旧した。



以上、東日本大震災から数日間の記録。
その後も長きにわたり、放射能による汚染の調査、計画停電による影響調査、節電といった対応が続いたのであった。
2012.02.27
数ヶ月前から温めていた計画の作戦を本日より始動。
2009.05.27
終電での帰宅時にドアの横に寄りかかっていると、30歳前後の女性が乗り込み、向かい側に立った。
どこにでもいそうな特徴のない女性だった。
電車が発射し、何か臭うと思ったら、その女性の腰付近の寄りかかったところに
茶色い物体がねっとりと付着していることに気づいた。
よく見ると服にもところどころ茶色い模様が。大きい方を漏らしたということか。
電車に乗るなよ、とも思ったが、確かに電車で帰る以外の選択肢はなさそうだ。
2008.06.30
アンテナは立っているものの、発信も着信もできなくなった。
お疲れさまでした。



しばらくの間、ケータイ電話に縛られない生活を送ることにします。
2007.08.05
電車に乗ると、財布が落ちていた。
上流から札と硬貨入りの袋が流れてきた。
空から札が降ってきた。

金運を使い果たした日であった。
2007.06.30
私の携帯電話が使えなくなるまであと1年となった。

それはさておき、私の電話番号(ハイフン抜き)をYahoo!でWeb検索すると・・・。
おかしなデータベースに登録されている。
以前はGoogleのWeb検索でもヒットしていた。
濡れ衣である。
2007.04.27
2008年6月30日に、シティフォン(シティオ)のサービスが終了するとのこと。
※DoCoMoのプレスリリースはこちら

最後まで大事に使いますよ。


2006.03.27
天の川がその役割を遂げる夜、牽牛と織女は天空に思いを馳せ、同じ夢を見るのである。
2005.09.03
早朝、近所で火事。
私の家から20mほど離れた家が燃え上がり、窓から炎が吹き出ていた。
今までも近所で火事があったことは何度かあったが、燃え上がっている様を見たのは初めてだ。
2005.07.08
不発弾が見つかり、その撤去作業が行われるため避難。
2005.07.07
ドラマ版『電車男』を観た。本日が第一回目の放送だ。
元となった掲示板を読んでいたため、ストーリーの大筋は分かっている。
ただ、意外な点があった。
それは掲示板の参加者を前面に出していることである。
その場面を見たとき、このドラマの狙いを悟った。

私がインターネットの世界に本格的に入り初めてから5年が経った。
初めの頃はとにかく楽しく、夢中になっていた。
何がそんなに楽しかったのか。
一言で言えば「コミュニケーション」である。

私は人の個性、人格の裏表、考え方、感情やその変化というものに強い興味を持っている。
人は面と向かうとそういったものを隠そうとする性質があるが、
隠していることを曝け出したいという願望も併せ持っている。
大様の耳はロバの耳、インターネットは宝の山であったのだ。

この世界を知らない人から見れば、パソコンに向かって回線の向こう側の人と会話をしている人と、
仮想恋愛ゲーム等に興じている人は同類に見えるだろう。
しかし、その実態は全く異なっているのである。
回線で繋がっている人たちは、何十年間も人生という名のドラマの主役でありつづけた人たちであり、
インターネットを介したコミュニケーションもまた、人生の一部なのである。
その何万人もの人々とはインターネットがなければ自分の人生と交わることはなかったであろう。

『電車男』では短い描写の中でそれぞれの人生を凝縮して表現していた。
このドラマの主人公のストーリーと同時にその他の参加者を前面に出すことで、
インターネットが人生の交差点とも言える役割を果たし、それがどのような効果を生み出すのかを
もうひとつのストーリーとして描いていくことを期待している。
2004.07.07
二羽の鷹が空を舞う。
一方は翼を広げて舞い上がり、一方は翼をたたんで舞い降りる。
そんな日。

陰暦の7月7日は七夕。
記念日として知れ渡っている日付が多くある中、唯一この日を尊重している。
聖夜の華やかさより七夕の静けさが良い。

七夕だからと言って特別なことをするわけではなく、普段と変わらない一日を過ごす。
ただ、ふと七夕を思い出して空を見上げることがある。
その一瞬、あの頃の私が蘇る。
あの頃は今より少し遠かったはずなのに、空の奥まで見通していた。
手を伸ばして空の奥を掴もうとした。が、手には虚しい感触だけが残った。
思いは届かなかった。もう少しのところで届かなかった。
早く大人になりたかった。

今ここに、目に見えない牢獄に囚われた私が居る。

私は大人になれたのだろうか。
私は大人になってしまったのだろうか。

今宵、牽牛と織女の輝きの下、独り想い耽り候。
2003.12.13
さほど変わらない日々を過ごしていた。
しかしこの日、この場所で、確実に変化のある一歩を踏み出す。
いつまでも過去を振り返っているわけにはいかない。
踏み出した後に振り向いたら、エウリディーケは蘇らないのだ。

流れに身を任せ、与えられた役割を忠実に演じる。
私のロールプレイングゲームは未だエンディングを迎えない。
2003.11.29
平成15年11月29日、仏滅。
午前中の降水確率は90%。
今日雨が降ること、数ヶ月前から知っていたような気がする。

何かが終わり、何かが始まる。
2003.08.31
人生最大の過失が呼んだ津波が現実世界に現れた。
私の船は大きく揺れ、辿り着く先は出雲の神のみぞ知る。
2003.04.11
「ライブ」という名の宴に行った。我が人生初の経験。
思ったよりものんびりでき、楽しかった。
弟的存在がステージで熱唱している姿がまた新鮮。
2003.02.14
Yahoo!掲示板で私が作ったトピックが注目のトピックに選ばれた。
うれCな。

Yahoo!掲示板 トリビアの泉
2002.11.14
今日から回線がADSL12Mになる。
偶然にも開通から丁度一周年。
できれば光りたかった。
2002.08.19
朝の満員電車。怪しい男。注意。恋人。赤っ恥。

紛らわしいったらありゃしない。
2002.06.06
生まれて初めて裁判所なる所に行った。
新鮮な一日だった。
2002.04.26
バスルームに閉じ込められた。
数日間閉じ込められっぱなしになるかと思い、死をも覚悟した。
幸い、数時間で開放された。
メデタシ、メデタシ。
2002.01.20
3年以上愛用した携帯電話をついに機種変更。
3年も使っていると愛着も湧く。
肌身離さず持ち歩いてるものは携帯電話と鍵だけだ。
機種変更してもその電話は大切に取って置こうと思っていたが、回収されてしまった。
記念撮影でもしておけばよかった。

その電話を通してさまざまな思い出が流れた。
電話が新しくなるとともに、思い出も新たに流れていくだろう。
2001.11.14
ついに開通、嬉しいな。

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